それでもわたしは生きていく
こんにちは、ロミーです^^
最後にこちらのブログを更新してから、なんともう1年弱…
なかなか続かない性格のわたしっていうのもあるのですが、正直ここ9ヶ月で人生がガラリと変わってしまいました
前にも書いてると思うんですが、わたしの実家は代々続く飲食店を200年近くやっていました
4年前に母がすい臓ガンになりお店に出なくなって、弟と店の従業員さん達とではお店が回らなくなったので、わたしはそれまでやっていた自分の仕事を最小限に減らして実家に戻り、お店を手伝っていました
母が病気になってもう長く生きれないとわかった弟はお酒に溺れ、肝臓のガンマGTPの数値が1500(成人男性の通常数値約30倍)を超えてお酒に心も体もボロボロになっていました
そんな弟を見て、母は自分の病気のことを心配するよりも弟のことばかり心配していました
私はそんな母を安心させたくて、
「〇〇(弟)は私が守るから安心して」
と約束をし、商売や弟、家族のことで何があっても、弟を守るため、母との約束を守るために一心不乱に頑張ってきました
そんな中でこのブログを始めたり、7年前に始めた「ゆめのたね」というインターネットラジオのパーソナリティを続けていました
でも、昨年の10月15日、弟が急逝しました
母が亡くなってからお酒をやめていた弟は、昨年の夏にガンマGTPの数値が正常値の30まで下がり、かかりつけ医にお酒は少しだったら飲んでもいいと言われ、3年ぶりにお酒を少しずつ飲み始めていました
一昨年からの糖尿の数値も下がっていたので安心したのかもしれません
亡くなる日の前日の夜、コロナ前から来店されていなかった同級生が店に来てくださり、弟はとてもうれしそうでお酒を勧められて飲んでいました
「ハイボールお代わりちょうだい」
とうれしそうにいう弟の顔を見て、今日は弟の友達が連れて返ってくれるって言ってるし、たまにはいいかなと思ってグラスにできるだけたくさんの氷を入れてハイボールを入れてやりました
そして閉店時間になってもなかなか帰らない弟と同級生に、「バイトの子を送って行くから先に帰るね、あんまり飲みすぎんでね」と言って弟に告げると、弟は楽しそうに酔っ払って笑いながら「わかったよ」と言いました
それが弟の元気な姿を見た最後となりました
翌日の朝、警察から電話があり、弟が川で発見されたと言われました
警察によると、弟は友達が車で送ってくれるのを断って他のお客さんと一緒に飲み続けたそうです
お客さんと別れた後、真っ直ぐ歩けないぐらいベロベロに酔っ払っているところを知り合いが見つけてくださり、家の近くまで車で送ってくださったらしいのです
それが弟を降ろしたのが家のすぐ近くの川沿いで、弟が川の堤防に座っていたのを見たのが最後だったとのことでした
弟が発見されてからの3日間、弟の死が事故なのか、他殺なのか、自殺なのかわからず、警察から弟を返してもらえませんでした
わたしはその3日間、食べれず、寝れず、水も飲めずで家のカーテンを閉めきり一人でずっと泣いたりぼーっとしていました
結局弟の死因は特定されませんでしたが、他殺ではないと断定され、3日目の夜に弟を返してもらった時には、悲しみや後悔、不安や怒りなどの感情よりもやっと弟の近くにいれることでホッとしました
それからの私は、弟を失って実家の店を続ける意味がなくなり、店を閉めることを決めて従業員やアルバイトの人達を全員解雇してお店も閉店しました
小さい町でいろんな噂が流れる実家の町では人目が気になり、コンビニやスーパーに行くのも怖くて出歩けず、広島市に逃げるように移ってきました
お店がひと段落した今年1月、急に身体が重く、ベッドから起き上がれない日々が続きました
肉親が一人もいなくなり、孤独と寂しさで本当に辛かったです
『自分はこれからなんのために生きてるんだろう』
『自分は何のために生きたらいいんだろう』
と悩み、自分の殻に閉じこまって過ごす日々が続きました
今年4月に入り、少しずつ体も心も落ち着いてきて今は前にやっていた仕事を再開したり、業務を増やしたり、そしてアクセスリーディングやチャネリングなどを学んだりしてます
今日久しぶりにこのブログのことを思い出し、今の自分の気持ちや経験を文字に残したいなと思い、今日からこうやって書いています
今は新しい仕事で忙しく、なかなか書く時間や気力がない日もありますが、ひとり言として、日記として書き留めていこうと思います
よかったら読んでくださいね^^
最後まで読んでくださり、ありがとうございました
ロミー